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翔 ぶ 魚

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vol.43 銭湯考

Side white

銭湯が好きだ。

自宅に風呂があっても時折銭湯に行く。
多摩川土手時代は銭湯がMy風呂だったし。
住んできた町のおおよその銭湯は制覇してきている。

もちろん温泉も好きだ。
温泉での楽しみはもっぱら
ハダカでの外気とのふれ合いだ。
ワタシは烏の行水タイプだが
空とか木とか眺めてればもうちょっと入ってられる。
外気。
つまり露天温泉ね。

でも今回は銭湯のはなし。
基本的に銭湯は露天じゃない。
外気ともふれ合えない。

なぜ好きなのか今更ながら疑問に思ってみた。

広い浴槽で足を伸ばせるのはたしかにいいが
リラックスつってもだからワタシは
遊び道具がないとどうせ長湯が出来ないのだ。
まさかワタシでも銭湯に本は持ち込まない。
むろんシュノーケルも持ち込まない。
ちゃっと入ってちゃっと出る。

かといって健康ランド的な
色んな浴槽やら設備のととのった
ちょっとした施設みたいになってるのは
あまり興味が持てない。
どうにも風呂に行くという気がしないのだ。

銭湯は一人でちゃっと行くに限る。

余計な設備も必要なし。
ただ、ざぶんと風呂に浸かりにいくのが良い。

…じゃ、自宅の風呂でいいじゃん。

なしてわざわざ銭湯?ってことになりますわな。

温泉と違って距離を行かず
意識の切り替えもせずして行ける。
日常の延長線でありつつちょっと非日常な感じがいい。

古めかしくて年代物な、昭和色の濃い、
いわゆる「ザ・これぞ日本の正しい銭湯」って
赴きの銭湯であればあるほど
こころ惹かれるのもそのせいかもしれない。
自分の通常の生活空間とのギャップというかなんというか
時間の流れ方のゆがみみたいなものに触れる気がする。
真昼の人気の無い古い銭湯はとくにそんな感じだ。
どこかの時代の映画のセットに迷い込んだような感じ。
長居無用な感じ。

あとあの壁画が好きなのだ。
富士山とか、どこかの入り江みたいな風景画。
スコーンと抜けたやたらスケールのでかいあれね。

外気にはふれられないから気分だけ演出しました的な。
日常に小旅行を。みたいなね。
ヴァーチャル露天温泉。みたいなね。
その庶民的な発想。心意気が微笑ましくていい感じだ。

構図のスケールのでかさとは対照的に
点描がもの凄く細密でじっくり見ちゃうんだよな。あれ。
でも最近は町角のオーソドックスな銭湯でもあまり見かけない。
なんか淋しい。

先日家の近所の銭湯に毛が生えた程度の
お湯屋に行ったらやはり壁画は無かった。

で、代わりと言っちゃあなんだが
総古代檜張りの露天風呂があった。

ちっ。
洒落っ気出しやがって町風呂のくせにしゃらくせえ。
つつましく壁画にしてろよなー。
こんな町中でなにが露天だ。
なんて毒吐きながらも内心脱衣中からすでに入浴決定。
いそいそと直行。
我ながらこの辺ものすごく小市民的。

大雨の晩で誰も外の浴槽には入ってなかった。
わーい。独占。
どうせ濡れるんだしと思って一人で露天を満喫。
まあ、駅前の一角だから
露天といってもぐるりと高さ4mくらいの塀で囲ってあって
四角く切り取られた雨空しか見えなかったが
外気にふれているのには違いない。

すっぽんぽんで大雨に打たれてる己と
塀一枚隔てた向こう側では距離にして3mも無い。
駅前の通りを傘さしてコートを着込んで
日常の帰路を往く人々がいるのだ。

上空から俯瞰で眺めたらその落差は
さぞかしシュールな図だろうなぁ。…と。

あれはあれでなんとも
無防備というか、心もとないというか
でもちょっと優越感というか
微妙な心持ちになった。

雨に打たれて冷たいんだか熱いんだかも
微妙であった。
滝に打たれる修行僧のような気分になったが
とくに修行することもないので
やはりちゃちゃっと出た。

Side black
町の銭湯は必ず幅利かせてる常連おばちゃんがいるのなー。
経営者でもないのにやたら人の入り方に規定を説こうとするのなー。
煩わしくもあるがそれもまた江戸長屋みたいで微笑ましい。
でも、ワタシは常連が居そうな時間帯は避けます。うるさいもん。

by omifish | 2006-03-02 15:23 | white>black
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