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翔 ぶ 魚

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vol.103 瞼の裏のネガ

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明るい昼間の電車内の座席に座り
ぼんやりと正面を向いている。
対面の車窓あたりに視線は固定されているが
とりとめも無いことを考えているので
視覚からの情報は意味をなしてはいない。
ピントも何所にも合わせてはいない。
いわゆる「遠い目」をしていたはずだ。

そのうち考え事にも飽きてきて
眠気に目をつむる。
と、
瞼の裏に
今まで視野におさまっていたであろう光景の
ネガが浮かび上がってくる。

よく太陽を直視してしまった後に
しばらくどこを見ても目をつむっても
焼き付いてしまった黒丸が浮かんでくる。
あるいは
昔やった遊び(たしか「影おくり」とか言ったか)
夏の強い日差しの中色濃く落ちた自分の影を
しばらく凝視したのちに空を見上げると
青空に白くぽっかりと自分のひと形が浮かぶ。
あんな感じ。たぶん同じ原理。

ともかく
電車内で目をつむるとネガ画像が浮かんできて
目を開けていた先刻までは
まるで「見えていなかった」ものの輪郭が
写し出されているのだ。
最初こそぼんやりとたち上がってくる感じだが
面白いことにその瞼の裏のネガは
部分のクローズアップや
任意の箇所のピント合わせも可能だ。

目を開けている時

a0040963_17273331.jpgまるで見えていない
どこも見てはいない


目を閉じる…

a0040963_18392643.jpg瞼の裏に勝手に浮かぶネガ


a0040963_1753328.jpg部分部分に的をしぼって
集中すると詳細が浮き出てくる


そもそも
目を開けているときは
前の座席に人がいたような気もするが
いたのなら何人くらいだったのか
それすら認識してなかったのである。
…それが
目を閉じた状態になってはじめて目前の光景を
「見ている」のだ。
これはちょっとした衝撃であった。
勝手に焼き付けられている。
むしろ
見えてしまう。
見させられてしまう。
瞼の裏の残像からは視線を外せないからだ。
閉じたまま眼球をズラせば
そこにまた浮かんできてしまうのだ。
…ちょっと、うっとうしい。

まあ。あきらめて、と。
目を閉じたままじっくり観察することにする。
あれ、左はじに座ってる人は
なんか白っぽい(ネガでは黒い)四角いもの広げてる。
あのサイズは新聞でも文庫でもなく単行本か。
とか
右に立ってるひとはあんなカバン持ってたのか。
とか
あの子はひざ丈のなんかをはいていて
素足が出てたから、ネガではこんなににょっきり
足が黒く浮かんでるんだな。
とか、とか。

そして薄目を開けて確認すると
はたして
左の人は単行本を読んでおり
右の人は変な形の肩掛けカバンを持っており
子供はひざ下が素足なんである。


a0040963_16582362.jpg実際に意識して見た視界
窓の外の風景は流れちゃってるから
先刻の映像を確認出来ない


ふむふむ。やはりそうか。
(納得をしてまた目を閉じる。)

ん?
この上の方のこれはなんだ?
…わからんなー。

(薄目を開けて事実確認。)

ああ、あれか。

(…また目を閉じる。)

ふむふむ。

…。





…今、ワタシはうつらうつらと
まどろんでいるように見えるかね。
しかし
その実、真にクリアにこの世界が見えているのだよ。
しっかりと細部を観察しているのだよ。

ふ。

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ま、ようはまた電車内で読むものが無くなっちゃって暇だったのだ。
by omifish | 2007-07-23 16:51 | white>black

vol.102 かの人の声

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えー。
16日の祝日に
「宣伝会議」が青山学院大学とコラボレートした養成講座に行った。
書いたり表現したりすることを生業としている
各界の著名人がパネラーとして講演をおこなうというもので
ワタシはその内のいくつかのカリキュラムを聴講したのだ。

(あんまり久しぶり過ぎて言い訳が面倒なので唐突に本文に入ってみた。)

しかし、今回の話題は講演内容についてではない。

声である。

聴講した一つの「詩力」というカリキュラムに
穂村弘さんという歌人でエッセイも書く方が
パネラーとしていらっしゃったのだ。

氏の著作は全てではないがほとんど拝読しているし
その著作にはいわゆる著者近景として
ご本人の顔写真が載っているので
見た目(アングルは固定されているが)も
まあ、存じ上げていたわけだが
もちろん、生のご本人を目の前にするのは
はじめてであった。

そしたらねえ。
声がねえ。。。いや、声だけでなく
声の発し方と言うか、話し方、佇まいが
あんまりにもイメージまんまでちょっと笑いましたよ。
いや、声が面白かったとかじゃなくて。
別に意識してイメージしてたわけじゃないので
気付かないうちに勝手に著者の声を
想定していたということに我ながらびっくり。

結構してるもんなんですね。
活字なり文章にその発信者の『声』を想定するってこと。
脳内で音声化して朗読してるってことか。
(小説の登場人物とかには当たり前にやってるか。
だから映像化されたときの配役に賛否がでるのか。)

試しに
今まで読んできた活字でしか知らない方々の作品を、
その行間から自分がどういう風に
『かの人の声』として捉えていたのか
色々読み返して意識して確認してみた。
今回の場合は実在する著者の声ね。
小説内の架空の登場人物とかじゃなく。

結論
ひとつ、
エッセイとか日記とか著者の心情や
日常を語ったものじゃないと声は想像しにくい。
ふたつ、
著者近景などの顔写真があるほうが
想定する声のイメージが固まりやすい。
みっつ、
いずれにせよ今回のような機会でもない限り
確認しようがないのでたんなるイメージ論で終る。
とくに往年の作家さんとか故人になられてる方は
もうどう確認しようもないし
現在活躍されてて、尚かつメディアに露出されてても
ワタシがテレビを見ないしラジオもほぼ聞かないので
声を聞くチャンスは限りなくゼロに近い。
それが残念なのかはよく分からないけど。
イメージはイメージのままってこと?

(…久しぶりの投稿なのになんて実の無い内容なんだ。)

しかし、紡ぐ言葉の選び方や文体、言い回しで
やはりなんとなく書き手のイメージって浮かんできませんか?
そのイメージの中に音声も入ってきませんか?
ワタシは男性の作家さんの旅行記は男性の声で
女性の方のエッセイは女性の声で
というふうに脳内で音読してたことが判明したよ。
低音で穏やかな感じ、とか、高音で早口な感じ、とかね。

本だけじゃなく、最近ではブログとか
ホームページ上の画面でしか知らない人の文章も
脳内でその人の『声』を想定して音声化して読んでるな。
皆さんの文章も勝手にイメージ音声で読まれてると思うよ。

ってことは
ワタシの声も
このブログでしかワタシを知らない人には
勝手にイメージされてる可能性もあるわけで
ふむ。
…えっとですね
春の小川のせせらぎのような…
夏の涼風に揺れる風鈴の音色のような…
わけは当然無く。
…まったく無く。
ええ。ええ。
はい。そう。そっちの方。
おそらく
そんな感じのご想像で遠くないと思いますよ。
ええ。

全然関係無いが、その講演の日に今年初の蝉の声を聞きいた。
夏ですね。

Side black
その昔、風邪で学校を休んでいた中学生時代
電話口で「ご主人様でいらっしゃいますか?」と聞かれたことがある。
なんかもう何から何まで色々想定ミスだらけの問いかけだったのだが、
「いえ、子供です。」とこたえたおつむのユルいワタシであった。
…せめて娘だって伝えようよ!性別からして間違われてるんだって!!

by omifish | 2007-07-18 12:26 | white>black