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翔 ぶ 魚

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vol.102 かの人の声

Side white

えー。
16日の祝日に
「宣伝会議」が青山学院大学とコラボレートした養成講座に行った。
書いたり表現したりすることを生業としている
各界の著名人がパネラーとして講演をおこなうというもので
ワタシはその内のいくつかのカリキュラムを聴講したのだ。

(あんまり久しぶり過ぎて言い訳が面倒なので唐突に本文に入ってみた。)

しかし、今回の話題は講演内容についてではない。

声である。

聴講した一つの「詩力」というカリキュラムに
穂村弘さんという歌人でエッセイも書く方が
パネラーとしていらっしゃったのだ。

氏の著作は全てではないがほとんど拝読しているし
その著作にはいわゆる著者近景として
ご本人の顔写真が載っているので
見た目(アングルは固定されているが)も
まあ、存じ上げていたわけだが
もちろん、生のご本人を目の前にするのは
はじめてであった。

そしたらねえ。
声がねえ。。。いや、声だけでなく
声の発し方と言うか、話し方、佇まいが
あんまりにもイメージまんまでちょっと笑いましたよ。
いや、声が面白かったとかじゃなくて。
別に意識してイメージしてたわけじゃないので
気付かないうちに勝手に著者の声を
想定していたということに我ながらびっくり。

結構してるもんなんですね。
活字なり文章にその発信者の『声』を想定するってこと。
脳内で音声化して朗読してるってことか。
(小説の登場人物とかには当たり前にやってるか。
だから映像化されたときの配役に賛否がでるのか。)

試しに
今まで読んできた活字でしか知らない方々の作品を、
その行間から自分がどういう風に
『かの人の声』として捉えていたのか
色々読み返して意識して確認してみた。
今回の場合は実在する著者の声ね。
小説内の架空の登場人物とかじゃなく。

結論
ひとつ、
エッセイとか日記とか著者の心情や
日常を語ったものじゃないと声は想像しにくい。
ふたつ、
著者近景などの顔写真があるほうが
想定する声のイメージが固まりやすい。
みっつ、
いずれにせよ今回のような機会でもない限り
確認しようがないのでたんなるイメージ論で終る。
とくに往年の作家さんとか故人になられてる方は
もうどう確認しようもないし
現在活躍されてて、尚かつメディアに露出されてても
ワタシがテレビを見ないしラジオもほぼ聞かないので
声を聞くチャンスは限りなくゼロに近い。
それが残念なのかはよく分からないけど。
イメージはイメージのままってこと?

(…久しぶりの投稿なのになんて実の無い内容なんだ。)

しかし、紡ぐ言葉の選び方や文体、言い回しで
やはりなんとなく書き手のイメージって浮かんできませんか?
そのイメージの中に音声も入ってきませんか?
ワタシは男性の作家さんの旅行記は男性の声で
女性の方のエッセイは女性の声で
というふうに脳内で音読してたことが判明したよ。
低音で穏やかな感じ、とか、高音で早口な感じ、とかね。

本だけじゃなく、最近ではブログとか
ホームページ上の画面でしか知らない人の文章も
脳内でその人の『声』を想定して音声化して読んでるな。
皆さんの文章も勝手にイメージ音声で読まれてると思うよ。

ってことは
ワタシの声も
このブログでしかワタシを知らない人には
勝手にイメージされてる可能性もあるわけで
ふむ。
…えっとですね
春の小川のせせらぎのような…
夏の涼風に揺れる風鈴の音色のような…
わけは当然無く。
…まったく無く。
ええ。ええ。
はい。そう。そっちの方。
おそらく
そんな感じのご想像で遠くないと思いますよ。
ええ。

全然関係無いが、その講演の日に今年初の蝉の声を聞きいた。
夏ですね。

Side black
その昔、風邪で学校を休んでいた中学生時代
電話口で「ご主人様でいらっしゃいますか?」と聞かれたことがある。
なんかもう何から何まで色々想定ミスだらけの問いかけだったのだが、
「いえ、子供です。」とこたえたおつむのユルいワタシであった。
…せめて娘だって伝えようよ!性別からして間違われてるんだって!!

by omifish | 2007-07-18 12:26 | white>black
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